想いのタネを、自分で摘まないようにね。
その想いのタネを
自分で摘まないようにね。
さっき珈琲を淹れながら
そんな言葉が、湧きでてきた。
わたしが自分で
珈琲を淹れるようになったのは
今からちょうど3年前。
はじめは
尊敬する人が
珈琲を淹れてくれる所作に
とても心惹かれて
その世界を
すこしでも知りたくて
“自分のため”に
はじめたものだった。
それがすこしずつ
自分以外の人へ
珈琲を淹れさせてもらうように
目の前にいる人が
一杯の“珈琲”を通じて
ホッと、一息ついていたり
美味しい、とよろこんでくれたり
くしゃっと、笑顔になってくれたり
純粋になんか嬉しかった。
そしてきっと私自身も
何かを癒されたり
幸せな気持ちになったり
していたんだと思う。
そんな“めぐり”が
とても素敵で、やさしくて
探究心をくすぐって
どんどん珈琲の世界にはまっていった。
そんな
”ちいさなよろこび”の体験が
積み重っていって
”一水一会”へと繋がっている。
大きな使命感やビジョンをもつこと
自分の感性や世界観を表現していくこと
とても素晴らしいことだと思う。
けど、それらもきっと
“はじめ”から明確にあったわけではなく
何気ないやりとりのなかで
それを誰かに分かち合うなかで
あっ、これ嬉しいな。
あっ、これ楽しいな。
あっ、これ素敵だな。
そんな気持ちが芽生え
そのちいさな体験が積み重なって
すこしずつ大きくなり
明確になっていったもの
なんじゃないかなって。
すくなくとも、わたしはそう。
想いを育てるときに
大切なのは
自分が素敵だなと思う人の
【今だけを身過ぎない】ことで
その人の【今まで】にも
しっかりと心を向け、興味をもつこと。
そうしないと
きっと“大切なこと”を見失ってしまう。
余計な焦りや不安がでてきて
想いのタネが育たなくなってしまう🌱
珈琲を淹れようと思って
実家のリビングへ向かうと
ちょうど両親もいて
「珈琲、のむ?」という会話から
淹れる流れになって
ふたりの反応を見ながら
そんな“はじまり”を
ふと思い出したのでした。
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