一水一会|ブランドストーリー
ようこそ、一水一会 -いちみずいちえ- へ。
2023年9月1日。
色んな人たちと共に準備を進めてきた、当サイト【 一水一会 – ichimizu ichie – 】を無事にオープンすることができ、こうして皆さんにご報告ができますこと、とても嬉しく思います。
この一水一会が生まれるまでの道のりには、人をはじめ、ものやお店、自然や土地、そこから交わされる気持ちや言葉など、たくさんの『縁』がありました。
そのひとつひとつの“縁”が時間を重ねてつながりあい、それがひとつの“円”となったのが、この『一水一会』です。
このページでは、そんな一水一会が生まれるまでの物語をていねいに綴っています。
すこし長くなりますが、ひとつの存在・空間が生まれるまでの物語を、一緒に楽しんでいただけたらうれしいです。
|たじカフェという原点。
一水一会の原点は、2017年11月まで遡ります。
「たじーさんは会いたいと思ったときに会いたくなる人。
たじーさんに気軽に会えるような機会があるとうれしい。
きっとそう思っている人はわたしだけじゃないと思うよ。」
東京のとあるカフェにて、当時わたしの生業であるセッションを受けてくれていた千佐子さんからの、この一言からすべてが始まりました。
もちろん仕事柄。セミナーやイベントや個別のセッションなどではたくさんの人に会ってきましたが、『空間』としては考えたことがありませんでした。「どんな空間にしようか?」という話題へ移り、最終的に「“カフェ”のような空間にしよう」という答えに辿り着きました。
それは当時600店舗以上のカフェを巡るほど、“カフェ”という空間にわたしはたくさんの縁をもらい、その存在に何度も救われたこともありました。そして仕事でもプライベートでも、”カフェ”で過ごしていたこともあり、その時間の一部を『みんなが気軽に集まれる場』にしてみたら面白いのではないか・・!?
そんな流れで生まれたのが、この【 たじカフェ 】という空間です。
たじカフェは、月に2回。その時ときめいたカフェに、ただ私がいるだけ。
具体的な目的もゴールもない、明確な意図のない状態からはじまりました。
そんなある日、お客さんから「自分のなかに、余白が生まれました」という一言をいただきました。
この一言は、わたしがたじカフェを通して感じていたけれど、うまく言葉にできなかったものを言葉にしてくれたような感覚があって、その言葉をいただいて『自分に「余白」をつくる』というひとつの目的が生まれました。
はじめは友人が中心に集う場も、すこしずつ初めましての人との縁が広がり、気づけば親やパートナー、お子さんや親友など、その人にとって大切な人を連れてきてもらえるような空間へと育っていきました。
2020年3月、ちょうど50回をむかえたときに、コロナ禍へ突入。それをきっかけに「オンライン」での空間が生まれ、そこから日本全国にとどまらず、海外にも縁が広がっていきました。
|意図のない、余白空間から出会えた景色。
たじカフェでは、主宰であるわたしの『意図』をできる限り入れないことを大切にしていました。
わたしにとって“カフェ”という空間は、「特別な目的がなくても、行きたいと思ったときにむかえてくれる存在」だったので、その空気感をこのたじカフェでも大切にしたいと思ったからです。
意図をできる限り入れないとは、たとえば「その人がピンッときた時にきてもらえる場にしたい」という想いから、ご案内時にここにきたらこんなことが得られるよ、という表現をあえて手放してみたり。毎回の対話のテーマも、わたしの方で前もって決めることを手放してみたり、など。
いま目の前のご縁をただ楽しむなかで、自然と生まれる「対話」や「余白」を大切にしてきました。
そんな意図しない余白空間は、年齢や職業や立ち位置に関係なく、「このメンバーだったからこそこの時間が生まれたよね」というような景色が広がっていました。
そしていつしか、皆さんからは〔 ありそうでなかった場所 〕と喜ばれ、〔 ここに参加してから、人生の流れが変わりました 〕という声も生まれるような空間へと育っていきました。
たじカフェをやろうと思ったときには、こんな景色と出会えるなんて想像もできませんでした。
これも参加してくれた250名以上の皆さんがいて、このたじカフェに心を寄せて、共に見守り育ててくれたからこそです。ほんとうに有難うございました!
|珈琲をいただく側から、淹れる側へ。
そのきっかけは、10年以上交友があり、わたしが心から尊敬している 砂子さん 。
2020年7月に砂子さんが学ばれている茶道の場にご一緒する機会をいただき、そこからすこしして砂子さんのセッションを受けさせていただくようになりました。
そのセッションでは毎回、目の前で一杯の珈琲を淹れていただく時間からはじまります。その砂子さんの珈琲との向き合いかた、珈琲空間に込められた真心、一杯の珈琲ができるまでの所作にうつくしさに心惹かれて、自然と「わたしも珈琲を淹れてみたいな. . .」という気持ちが芽生えました。
そんな「ご縁」から珈琲を淹れる側に。そして、はじめは「自分のため」でした。
それから2年後に、わたし自身が珈琲空間をひらく流れになるとは1ミリも想像もしていなかったので、人生はわからないものですね。笑
|最も禁止していたことへの挑戦。そして、「まっさら」になる。
たじカフェでは「自分に余白をつくろう」と皆さんへ届けていましたが、実は誰よりもわたし自身が「余白」をつくることが苦手な人間でした。
というのも、社会人になってからの13年間。ひたすら自分の成長と、理想に向かって走り続けてきました。現状に満足するよりも、立ち止まってじっくり考えるよりも、『挑む』を選んできました。とにかく「成長・変化」を求め、『自分の価値を高めること』に一生懸命でした。
いま振り返ってみると、前向きな気持ちというよりも、『動いていないと、自分には価値がない』という気持ちからでした。正直、そんな自分が嫌いで、その自分を変えるためにずっと『挑む』という選択をしてきたのだと思います。
なので休むときにも「頑張ったご褒美に、体調が優れないから」という(自分が納得するような)明確な理由がないと、自分から休むという許可を出せない人間でした。
なぜこういった話を突然したかというと、2021年5月13日。
「挑みつづけて目標を達成してもその喜びは一瞬で、すぐまた言葉にできない不安がやってくる。これはなんだ?このまま同じ道を辿っても何も変わらないのではないか. . . ?」という違和感が大きく膨らみ、〔 自分に最も禁止してきた”挑みつづける人生”を、一度手放してみる 〕ことに真正面から向き合うことになったからです。
ほんとタイミングだったのでしょうね。そこへの抵抗とともに、『自分に最も禁止していることだからこそ、その先にはどんな世界が広がっているのだろう』と純粋に知りたくもありました。
自分自身とつながり直すために、一度自分を止めてみようと決めたのでした。
具体的には、『1ヶ月の休みをとること』でした。
当時抱えていたお仕事をすべてストップさせ、周りへも自分からは連絡をとらない。
そして、この1ヶ月をどう過ごすかも“事前に”決めず、一日がはじまったときに、そのとき自分から生まれたことをやる、という意図のない1ヶ月の小休止を過ごす挑戦でした。
前日までやらない理由をいくつも生まれるほど、全身から強烈な拒否反応がありました。笑
「こちら都合で、特に根拠もないのに仕事をストップさせるなんて無責任すぎないか?」という言葉は何度も脳裏をよぎり、何度もこの気持ちに蓋をしめたくなりました。
ただいつも最後には、「これをしないことには、きっと先はない」という根拠のない直観だけがなんとか踏みとどめてくれ、そんな混沌とした感情とともに、挑戦がはじまりました。
(快く送りだしてくれた仲間やお客様には感謝しかありません)
これは、2021年5月13日〜9月21日の、約4ヶ月の間に起きたお話です。
この1ヶ月の小休止をはじめ、この4ヶ月はわたしにとってこれまで正しいと信じてきたことや築いてきたものを一度すべて疑い、「ひと、もの、からだ、こころ、お金、時間」など、不要なものを徹底的に削ぎ落としました。
それは一度、自分自身を『まっさら』する壮大な旅でもありました。
この4ヶ月のなかで教えてもらったことは、私がこれまでたじカフェで伝えつづけてきた『意図しない時間からでしか出会えない自分や景色もあるよ』というメッセージを、わたし自身が問われ、深く経験・理解する旅でもありました。
|“暮らし”から変わる。
この4ヶ月を過ごした先に待っていたのは、34年間暮らしていた関東から、縁もゆかりもない福岡県糸島市へ移住するという結末でした。
自分をまっさらにするなかで色んなことが「おわり」をむかえ、自然と「関東に住みつづける理由」がなくなり、「どこでも選べるんだったらどこで暮らしたい?」という問いから出てきたのが、「糸島」という土地でした。
糸島を選んだ理由は、なんかここで暮らせたらいいな、という『直観』でした。
そこからすぐ物件も見つかり、この直観から1ヶ月後には引越しをしているというスピード感でした。
ただ直観に従ったはいいものの、実際は誰も友人のいない状態からの暮らしは、正直もう大変で。
初対面の人に話しかけるのが苦手なわたしでしたが、地域の人と繋がるために自分から色んなところへ足をはこび、緊張しながらも自分から声をかける日々を数ヶ月ほど過ごす。
ものすごくエネルギーを使いましたが、「これまでのわたしを何も知らない」というところから人と出会い、繋がれることはとても新鮮で、いつしかこの環境を楽しんでいました。
目にするもの、触れるもの、選ぶもの、食べるもの、お金や時間の使い方まで。
あらゆるものの選択基準が変わり、そんな日々の暮らしから『私が本当に大切にしたかったことは、仕事のなかよりも、「日々の暮らし」のなかにあるのではないか』という気づきをもらいました。
糸島での日々と、この気づきとの出会いから「人の暮らしの概念が変わり、生きる選択肢が広がるような活動もしていきたい」という漠然とした気持ちが芽生えました。そしてまさかの数日後に、その願いにぴったりなご縁があり、そこから今度は働きかたがガラッと変わることになりました。
|“はたらく“が変わる
そのご縁とは「世界を農でオモシロくする」という想いで活動する農ライファーズ株式会(旧 株式会社The CAMPus BASE)代表の井本 喜久さんとの出会い。
暮らしを土台に、そこから商い(はたらく)をデザインする。
農業ではなく、自然と共に暮らす農ライフを人生の選択肢として選ぶ人を増やしたい。そして、日本の懐かしい未来をみんなでつくりたい。
そんな井本さんの想いと目指す世界に心が震え、わたしにとってすべてが未知な世界ではありましたが、移住して2ヶ月後の2021年11月より仲間として迎えていただきました。
(この大きな流れに次なる暮らしとはたらくを育むことに集中するため、これまで毎月開催してきたたじカフェを「休止」することも同時に決めました)
新たなお役目をいただいた農ライファーズでは、日本各地の農家さんや地域に根ざして活動する人、地域をよりよくするために取り組む人などの出会いがありました。その人たちと仕事をご一緒する機会に恵まれ、わたしが知らないだけで「こんなにも想いと信念をもって活動をされている人が日本各地にいるのか」という驚きと、純粋にその生き様がうつくしいなと感じる日々でした。
それと共に、福岡でも独自の哲学や世界観を100%出しきっている人やお店とのご縁が広がり、一気に新たな世界が広がっていきました。
そんな人たちと時間をともにするなかで、こんな気持ちが芽生えました。
『わたしも自分の感性や世界観を100%出しきってみたい、そんな空間からどんなご縁が広がっていくのかを知りたい!』
|違和感は、いつも「次」を教えてくれる
その表現の舞台として、休止していたたじカフェを「お店にしよう!」というアイデアが浮かんできました。
ちょうどすこし前に出会った福岡で小さなお店を応援しているとても素敵な不動産屋さんを思い出し、早速相談へ。このままお店開店まで一気に進むかと思いきや、なぜか物件の内見をすればするほど腰が重くなり、気持ちも沈んで、動けなくなってしまったのでした。笑
新たな夢ができたと思ったら、また新たな『違和感』に出会う。笑
そこから色んな人たちと話していると、2023年1月に『移動喫茶』というひとつの選択肢と出会い、そこでようやく違和感の正体がわかった。
その違和感の正体とは、『今はまだ特定の場所に店舗をひらくよりも、色んな地域を訪れながら、そこにある魅力を肌で感じたい。お店をやるとしてもそのなかでここだ!という場所でやりたい!』という気持ちでした。
そこから、『色んな地域を巡りながら、たじカフェを開催するご縁旅ができたら最高かも♪』というアイデアが生まれ、それを実現させるために新たに動きはじめました。
|カフェではなく、「神社」のような空間をつくりたい。
「移動喫茶で100%世界観を表現するなら、改めてどんな“空間”をつくりたいんだろう?」という問いが生まれる。そこで初めて『今までカフェの空間が近かったけど、なんか100%しっくりこない。』という違和感と出会う。
その答えを見つけるために福岡をはじめ、日本各地にある自分が心強く動く人や空間へできるかぎり足を運び、それを肌で感じ、店主さんとも言葉を交わす。そんな日々が4ヶ月ほど経ち、そこで辿りついた答えが『神社』という空間でした。
神社のどこに惹かれているかを紐解くと、『そこに訪れる人と、神社(空間)との距離感』でした。
わたしにとって神社は、『こんな空間で在ろうという意図はあっても、それを訪れる人には主張も強要もしない、意図のない場所』というイメージがあります。
神社に意図があると感じるのは、ここがなければあれだけの建造物を建て、毎日早朝からご祈祷やお掃除をしていないはず。ですが、その意図を訪れる人たちにわざわざ主張しない。全員に受け取ってほしいという強要もない。
神社へ訪れる人も、具体的な問題を解決するために神社へ訪れているわけでもないし、「なんとなく」という特別な理由がなくてもふらっと訪れられる。けれど、帰るころにはなにか心が軽くなったり、ととのったり、ハッと気づいたりする。
ただそれは神社という空間が毎日清められ、常に進化を重ねつづけているからこそ広がっている景色だとなと。そんな距離感が、まさにわたしがたじカフェで大切にしてきた『余白空間』と同じだなと思ったのです(大変恐縮ですが)。
|「水」との出会い、「一水一会」の誕生。
ようやく空間のイメージも決まり、道具も集まってきた2023年7月夏。
いよいよ旅に向けて、今度は車中泊や野外での珈琲室の練習も兼ねて、熊本県・宮崎県・大分県へ7日間の車旅へ。その旅で、一水一会につながる『水』との出会いがありました。
その旅で『豊かな水とともにある営み』をしている方と出会い、その暮らしにふれるなかで「あぁ。こんな清らかな水をつかって珈琲を淹れたり、料理をしたり、畑をしたりできたら最高だな〜〜」という、漠然とした気持ちが芽生えました。
(振り返ると、偶然にもわたしが訪れた地域はすべて名水と呼ばれる湧水地でした)
九州での『水』との出会いに心躍りながら、旅を終えてすぐに今度はこのプロジェクトの世界観を写真に残すために山梨県へ。その撮影の前日に、この一水一会の名前やコンセプト、ロゴやサイトを共に創りだしてくれた渡部 紗矢香さんと合流し、ここまでわたしが感じていたことをすべて共有しました。
「わたしがつくりたい場は、神社のような空間であったこと」
「これからは豊かな水とともにある暮らしをしてみたいこと」
そこから当初予定していた流れを変更して、せっかくならと湧水地や神社を巡りながら撮影をする流れに。その移動中の車内で【 一水一会 -いちみずいちえ- 】という名前と、【 湧水珈琲 -日本各地の湧水地を巡りながらその土地の湧水を使って珈琲をふるまう- 】というコンセプトが生まれました。
それはたじカフェからずっと大切にしてきた『ご縁』『一期一会』というものと、直前の九州旅で出会った『水』という新たなものとが宿った名前でした。
『一水一会』という名前が生まれてからの撮影でも、奇跡のような流れでした。
当初予定していた撮影場所へ訪れる前に、長野で有名な諏訪大社へ。
そこでのご挨拶を終えたときに「せっかくなら湧水のある場所で撮りたいですね」という会話になり、湧水地がないかとその場で検索。すると、すぐ近くに湧水地があることを発見。
「水眼の清流」という湧水の名前にも心惹かれ、そちらへ向かう。その場所があまりに清らかで、うつくしくて、自然と「あっ、ここで撮りたい!」という気持ちが溢れ、急遽こちらで撮影をする流れになりました。
その撮影場所は、右手には『神社』。左手には『湧水』という場所。
なにかに見守られ、祝福していただいているかのような空気に包まれながら、湧水を汲み、珈琲空間をしつらえ、その空気感を写真に残してもらいました。
撮影終了後、すぐに紗矢香さんが一水一会のロゴと写真が届く。
(今もまだこのときの感覚をうまく言葉に表現しきれないのですが)
それをみたとき、これまでの自分の歩みと今とが繋がり、さらにわたしもまだ見ぬ未来と今とが繋がり、天(目にみえないもの)と地(目にみえるもの)とが繋がりあう。
そんなあらゆるものがひとつに結ばれたような感覚になり、『次なるトビラがひらいたな』という不思議な感覚に包まれました。
こうして、『一水一会』はこの世に生まれました。
|いま、その意味をわからなくてもいい。
いまは、どこか『意図』に溢れているような気がしています。
なにかをしようとするときに、自分から、もしくは周りから「それは何のためにするの?」「それをやることによってどんな未来につながるの?」ということを、当たり前のように問いかけられる。ときに、それが「正」であるかのようにも感じることがある。
ちなみに、わたしは意図することを否定したいわけではありません。
明確に『意図』することで、想いが形になることもあります。ですが、こうも思うのです。
『転機』となるような出来事の本当のはじまりは、本人ですらもうまく言葉にできない「なにか気になったから…」という小さな声からはじまっているということ。
だからこそ、いまその行動の意味がわからなくてもいい。わかるるものだけを選択肢にしなくてもいいし。
意図することと、意図しないこと。そのどちらも選べる自分で在れるのが素敵だなと。
「明確な目的や根拠はわからないけど、気になるから. . . 」という意図のないことも選択肢のひとつにできることで、いまの自分では想像できないような景色と出会わせてくれることを、一水一会に出会うまでに色んな縁から教えてもらいました。
なにかをはじめるときに「何が得られるかがわからない」という行動は、恐く、居心地が悪い。
けれど、楽しさだけではなく、恐れや居心地の悪さも混じりあっている行動にこそ、『未知なる自分(世界)』との出会いであり、その先に『まだ見ぬ可能性』との出会いがあるのだと思います。
それはこれまでの自分がもがきながらも、一歩を踏み出しつづけてきたからこそ辿りつけた景色。その選択はとてもすごいことで、祝福ですよね。
|一水一会の空間を通して
皆さんと分かち合いたいこと。
20代からずっと人の心や人生に寄り添う人材教育の世界にいて、わたしのなかで今も年々大きくなっている、ひとつの「謎」があります。
それは、心を豊かにする方法や健康になる方法など、あらゆる選択肢は年々「増」えつづけているのに、そこに迷い悩む人も年々「増」えつづけている、という謎です。
その要因はひとつにまとめることはできませんが
わたしは「心」よりも「頭」で考えすぎているのではないかと感じています。形あるものや目に見えるものばかりで物事をみて、選ぼうとしすぎなのではないか、と。
頭で考えることが悪い、と言いたいのではありません。
考えることばかりに偏ると、「感じる」ということを忘れてしまう。
幸せだなぁ。うれしいなぁ。心地よいなぁ。
本来これらは頭よりも「心」が知っているもの。
感じることを忘れてしまうと、この心の声が聴こえなくなってしまう。それはとても寂しいなって。
自分のまんなかにあるよろこびのカタチも、大切にしたいことも、進みたい方向も、本来探すものではなく、すでに自分の中に在るものだと思うんです。
これまでの人生のなかでいまは不要となった荷物をおろして、そうやって『思い出す』ことがたいせつなのではないでしょうか。
そのきっかけが『感じる世界』にあると思い、一水一会では『感じる』という空間づくりをたいせつにしています。
では、いったい何を感じるのか。
それは、その日そこでしか起きない、目の前にある『縁』です。
人 道具 空間
香 音 味 触 色
光 水 火 風 土
ふと湧き出てくる気持ちや言葉
そして、言葉にならない感覚
これらすべてが、『縁』だと思っています。
そんなご縁を味わってもらえるよう
自然の季節のうつろいを感じられる空間にて
その土地の湧水を”冷水” “珈琲” “白湯”にわけて
色んな水の景色を愉しんでいただいたり
それらを味わう、うつわやグラスを
目で観て、手で触れながら、ご自身で選んでいただいたり
そこからそれぞれが感じたことを
ご一緒した皆さんと分かち合いながらそのちがいを愉しんだり
色んな五感に浸る機会をご用意しています。
一水一会のひとつひとつの行為は、きっと誰の日常にも在ります。
ですが、そこを『丁寧に感じきること』で思い出すこと、育まれるもの、出会える景色があります。
そんな感じるひとときが
私たちの心に「余白」をつくってくれる。
そんなまなざしで日常をみたとき
いつもの日常が、すこし変わってみえる。
そうして日常から
温かなしあわせの波紋が広がっていく。
ご縁を感じてくれた皆さんにとって
そんなたいせつな一雫になりますように. . .
こんな想いで、その日お越しくださる皆さんのお顔を思い浮かべながら、生涯に一度限りの空間をたいせつにしつらえています。
「あっ…」と心が動いたときが、きっと善きタイミング。
その一歩にどんな意味があるかは、一歩を踏み出した先にしか答えはありません。
ただ間違いなく言えることは、その一歩の先には『今のあなたに必要なもの』が待っていて、それが『あなたらしい次へのタネ』と出会わせてくれる、ということです。
過去でも、未来でもない。『今』を一緒に感じましょう。
いまの自分が、何気ない日常が、さらに愛おしくなりますよ。
ぜひ一度。その感覚と出会いに、一水一会へお越しください。
|最後に
まずは、このような長い記事を最後までお読みいただき、ほんとうに有難うございました。
一水一会の活動様子は、Instagramを中心に発信しています。
なので是非そちらもフォローしていただけると嬉しいです!
こうしてご縁を感じてくれた皆さんと
日本のどこかでお会いできることを、心から楽しみにしています。
【Special Thanks】
砂子 貴紀さん | 井本 喜久さん
渡部 紗矢香さん | 市川 千佐子さん
【Special Thanks】
一水一会で使わせていただく道具を製作された作家さんのご紹介
【うつわ】およお 金澤 尚宜さん & さちさん
【グラス】橋村 大作さん & 野美知さん
【 木皿 】 木暮らし舎 豊田 豪史さん
【 布 】 曖昧 田島 匡芳さん
【 和紙 】 ののわし 松尾 明香さん
【珈琲豆】muiさん
【 柄杓 】 森想木工舎 田澤 裕介さん
【 茶則 】 金工作家 RENさん
【珈琲壺】清水 善行さん
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