一 水 一 会

水流るる音を聴きながら
珈琲と余白を味わう。

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満ちる よろこび𓂃

 
好きと感じることを分かちあったとき、誰かがよろこんでくれたらうれしい
 
 
けど1年前くらいに、この好きだったことなはずなのに、これまで感じていたようなよろこびを感じられなくなった経験をした。
 
 
 
わたしにとってその好きが、珈琲を淹れる時間。
 
 
一水一会をはじめてから人様に珈琲を淹れて、よろこんでもらえる瞬間がふえた
 
それはほんとうに有難いことで、今もわたしにとってよろこびなことは間違いない。
 
 
それでも1年くらい前に嫌いまではなかったけれど
 
珈琲を淹れる時間に、これまで感じていたようなよろこびを感じられなくなった瞬間があった。
 
 
好きなことに共感してくれる人がいる状況で
そんなこと思ってはいけないとも思ったし、そんな自分に戸惑い、混乱し、ショックだった。
 
 
どうにかしようと色々と試行錯誤した結果、
 
誰かのためでもなく、表現のためでもなく、
 
只々『わたし』のために、一杯の珈琲を淹れようと思った。
 
 
 
お客様をお迎えするかのように部屋の場をしつらえ、
 
珈琲ができるまでのひとつひとつの感覚を味わう
 
 
時間にしてみたら、30分だったと思う。
 
それでも毎日淹れている珈琲なのに、このときの珈琲を飲み終えたときに
 
「はぁぁ……」と小さな声がもれて、自分の内から、あたたかく“満ちて”いった。
 
 
わたしが純粋に好きだったときの、あの満ちてゆくよろこびの感覚と出逢いなおした。
 
 

 
 
それからは意識的に
 
他の誰でもない、表現のためでもない
 
いまのわたしのためだけの珈琲時間を、日常のなかで創るようになった。
 
 
なんとなくだけれど、それ以前よりも、目の前の人がよろこぶ姿を心からよろこべるようになった気がする。
 
そして、より深く広い好きの世界に出逢えた気がする。
 
 
 
写真にも、映像にも残らないわたしのたいせつな時間
 
これからもたいせつにしたい時間𓂃⚪︎
 
 
 
好きなものだからこそ、こんな時間が必要なのだと思う。

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