傾心録𓂃五人目「余白は、何もない時間じゃない。」
「余白は、何もない時間じゃない。」
むしろ、本当に大切なものを思い出すために必要な時間なんだ。
そんな感覚に出逢えたのは、30歳の頃。
きっかけは、
「もっと気軽に会える場所があったらいいのに。」
ある方からいただいた、そんな何気ない一言だった。
30歳のときの転機
27歳の写真展をきっかけに、起業の道を選んだ。
人生は一度きり、自分がやってみたいことを形にしながら生きてみたい!
そんな想いで、会社という世界を飛び出して、自分らしい生き方と働き方を探究することにした。
そんなある日、セッションを受けてくれていた方から
「たじーさんと、もっと気軽に会える場所があったらいいのに。」という言葉をもらった。
「たじーさん、カフェ好きじゃないですか。SNSで『この日ここにいます』って発信して、来たい人が来るみたいな感じでもいいんじゃないですか?」
なんだか面白そうだなと思って、早速はじめてみた。
その名は、『たじカフェ』。
特別なコンセプトはなかった。
あえて、申込フォームも用意せず
テーマも決めなかった。
ただ、
その日に集まった人たちと、
“自然と生まれる時間”を楽しむことにした。
・
数回で終わると思っていたこの場は
5年間で、100回も続き
途中、コロナ禍も重なり
“オンライン”の場も生まれると
日本全国、そして海外へとご縁が広がった。
そして、たくさんの人が言ってくれた。
『ありそうで、ない場所ですね。』
その言葉を聴くたびに、
どうして、この場所は続いているんだろう?と
わたし自身も考えるようになった。
そして少しずつ、
ひとつのことに氣づきはじめた。
この場所には、目的がなかった。
何かを学ぶためでも、人脈を作るためでもない。
その時ご縁を感じた人たちと
ただその瞬間から生まれるものを、共に楽しむ。
そうやって、意図を詰めこむのではなく、
意図のない『余白』があるから
見えてくるもの、出逢えるものが在る。
氣づけば、わたし自身が
たじカフェからたくさんのことを教わっていた。
そして、今につながる大切な哲学が生まれた。
『余白は、なにもない時間ではなく
本当に大切なものを思い出すための時間なんだ。』
あの頃のわたしと対話してみた
あの頃の君は、
たじカフェをしながら、どんなことを感じていたの?
30歳のわたしは、答えた。
『余白って大事なんだなって、ずっと感じていた氣がする。』
余白?
「うん。」
あの頃は、わたし自身も、
ここにくるみんなも何かを頑張っていた。
もっと成長しよう。
もっと結果を出そう。
もっと良くなろう。
でも、たじカフェはちがっていた。
何かを学ぶためでもなく
何かを解決するためでもない。
ただ、
その時そこにいる人たちと
そこから自然と生まれる時間を楽しんでいただけなのに
そんな時間の中でこそ、
不思議と、自分の本心に出逢っていた。
いま抱えている悩みを話す人もいた。
忘れていた想いを思い出す人もいた。
楽しかったと、晴れやな表情で帰る人もいた。
何かを変えようとしなくても。
何かを与えようとしなくても。
今この瞬間のご縁を楽しむ時間の中で、
自然と生まれるものがあることを、
たじカフェが教えてくれた。
・
そっか、そう感じていたんだね。
君は、まだ知らないだろうけど。
その感覚は、これから先の人生で
とても大切なものになっていくんだよ。
珈琲を淹れることも。
場をひらくことも。
人と向き合うことも。
すべて、その感覚の延長線上にあった。
そしていつしか、
君はこんな言葉を
まんなかにおくようになる。
『心と日常に、余白を。』
傾心録𓂃 五人目
あの頃の感覚に心を傾けてみたら、
余白とは、
本当に大切なものを思い出すために
必要な時間なんだ
あらためて、そう感じた。
>>>傾心録六人目の物語を読む
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