傾心録𓂃 七人目「自分で、自分を満たすこと」
「自分で、自分を満たすこと」
何度も耳にしてきたこの言葉の意味が、
ようやく体感として腑に落ちた。
そのきっかけの入口にあったのは、
自分でも氣づいているようで目を背けていた
「誰かに満たしてほしい」
そんな長年抱えてきた心の渇きだった。
34歳、もうひとつの転換点
前回の物語のつづき。
一ヶ月の小休止を終えてからも
物や人間関係をはじめ
これまで握りしめていたものを
どんどんと整理していき
人生が一度“まっさら”になっていく
ような時間を過ごしていた。
そんな日々のなかで ──
「何もしなくても、あなたには価値があるんだよ」
「あなたがやりたいことなら、応援するよ。」
わたしはそんな言葉を
ずっと『母親』に求めていたことに氣づく。
というのも、母親からは
新しい挑戦をしようとすると
いつも心配の言葉からはじまり、
「みんなはこうなんだから」と
よくわからない世間の基準で
わたしを当てはめて話してくるような人だった。
その言葉を聴くたびに、
純粋な想いを否定されたように感じて
悲しみがどんどん深くなり、
“愛の渇望感”へと姿を変えていった。
そことようやく感情的ではなく
まっすぐと向き合えるようになった結果…
⚪︎母親の愛情は
わたしが欲しかった形ではなかったけど
ずっと別の形で、届け続けてくれていたこと。
⚪︎わたしが本当に欲しい愛情の形は、
母親に求め続けても、きっと満たされないから
自分が自分に、与えてあげるしかないこと。
そんなことが、ここで初めて腑に落ちた。
あの頃のわたしと対話してみた
あの頃の君は、何に氣づいたの?
34歳のわたしは、静かに答えた。
「『自分で、自分を満たすこと』
その言葉の意味が、ようやくわかった氣がするよ。」
そのことが腑に落ちたとき、
長い間抱えていた渇望が
少しずつほどけていったよね。
その結果
ひとつの人生が終わりを迎えた感覚となり、
まさか縁もゆかりもない
糸島という地へ移住することになるなんて
ほんとうにびっくりしたよね😅
傾心録𓂃 七人目
私たちは、
誰かから欲しかったものを
探し続けていることがある。
でも、
本当に欲しかったものほど、
他の誰でもない、
自分自身から受け取りたかったもの
なのかもしれない。
だからもしも今、
何かを求め続けている自分がいるなら
それは、
自分自身からの
たいせつな呼びかけなのかもね。
この記事へのコメントはありません。