一 水 一 会

水流るる音を聴きながら
珈琲と余白を味わう。

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傾心録𓂃 十人目「自分を失わずに、人と共にいられるようになった。」

『自分を失わずに、人と共にいられるようになった。』
 
 
一水一会という、
自分が立ち還れる場所ができた。
 
だからこそ、もう一度。
 
これまで無意識に避けてきた
『人と共に生きる』という選択ができた。
 
 
その先で出逢ったのは
 
特別な幸せではなく
 
誰かと囲む食卓や、「おかえり」の一言。
 
他愛のない会話のなかに息づく
 
“何気ない暮らしの倖せ”だった。
 
 
 
傾心録𓂃 十人目
 
 
 
 

37歳 新たな土地での暮らしと挑戦

100日の旅を終えたあと。
 
突然、出逢ったのは
『一人でいることの寂しさ』だった。
 
 
本当は感じていたことだったけど
無意識に蓋をしていた扉が、開いた。
 
その直後、三日間。四十度の熱が出た。
 
 
身体は、ほんとうにごまかせない(笑)
 
きっと身体が先に
何かを解放してくれたのかもしれない。
 
 
それから一ヶ月ほど経った頃。
 
旅中に出逢った
安曇野・満願寺の湧水が忘れられず
もう一度この土地を訪れた。
 
そこで新たにご縁をいただいたのが、
シェアハウスとゲストハウスがひとつになった
後に住処となる「イラムカラプテ」だった。
 
 

 
 
これまでは、
 
人と深く関わることよりも、
一人でいることを選んできた。
 
そのほうが、
自分の感性や世界を守れると思っていたから。
 
 
 
けど、一水一会という
自分のまんなかができた今だったら
 
『面倒さも含めて、
もう一度、人と深く生きてみたい。』
 
そんな想いとタイミングが重なって
人生ではじめてのシェアハウス暮らしがはじまった。
 
 
 
誰かと食卓を囲むこと。
 
くだらない話で笑いあうこと。
 
誰かと共に、暮らしを育むこと。
 
 
もちろん、
価値観のちがいに戸惑う日もあった。
 
一人になりづらい環境に
ストレスを感じる日もあった。
 
 
 
それでも、
そんな毎日のなかで少しずつ
 
『倖せって、特別な出来事ではなく
暮らしの中に宿っているものなんだ。』
 
そんな当たり前なことを、思い出していった。
 
 
 
 

あの頃のわたしと対話してみた

ねぇ。
 
あのころの君は、
共同生活の日々から何を受けとったの?
 
 
『人と一緒に生きるって大変だけど
こんなにも安心できるものだったんだなぁ。』
 
 
ひとりで生きる強さも大切。
 
でも、
 
誰かと食卓を囲み、
 
「おかえり」と言い合いながら、
 
一緒に暮らしていく倖せもある。
 
そこで育まれる強さも在る。
 
 
 
そんな当たり前の景色を、
 
もう一度、
自分の人生に迎えいれることができたんだ。
 
 
 
──
 
あぁ、そんなことを感じていたんだね。
 
 
わたしはこれまで、ずっと
 
『自分らしく生きること』と
 
『誰かと共に生きること』との両立は
 
不可能に近いものだと思っていた。
 
 
 
でも、ちがった。
 
 
自分にとって立ち還れる場所(柱)があれば、
 
人と共にいることは、自分を失うことじゃなかった。
 
 
 
むしろ、
 
自分のままで誰かと笑い合える時間が、
 
人生をこんなにも豊かにしてくれるんだね。
 
 

 
あなたにとって、
「安心」を感じられる場所はありますか。
 
もしくは、
 
誰といるときの自分が、
いちばん自然でいられるだろうか。
 
 
 
あの頃のわたしに
もう一度、心を傾けていたら
 
「安心」とはなにか、と
わたし自身も、もう一度問い直していた。


>>>傾心録十一人目の物語を読む

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